糟嶺神社・明照院
午後には雨も上がったので、先日の坂巡りで行き損なっていた、入間町2丁目の大きな寺と神社に行ってみた。
すっかり馴染みになった住宅街の静かな裏通りと、NTT研修センターの塀沿いに「新左エ門の坂」の上まで行き、今日も自転車は坂上の無舗装駐車場に置いて徒歩で坂を下った。
新左エ門の坂下の「弁天池跡」をお掃除している女性がいたので挨拶する。
すぐ前のマンションの住人たちが、自発的にボランティアで掃除や植樹などを行っているとのこと。
ホウキの目の立つ境内の奥には、日陰でも育つ植物が植えられて、地域の方達の努力が目に見えている。
弁天山の上の電通中央道に出て、入間町2丁目側に渡り、七曲り坂の折り返し点を折り返さずに下って行った。
入間町2丁目アパート群の脇の道を西に進むと、目の前に高い石垣と「明照院」の石段が見えてきた。
見ただけで気力を失わせられる石段を横目に見て、突き当たり左に見える「糟嶺神社」を先に参拝することに・・・
ここもかなり大きな神社で、西側の傾斜した参道を上がると、社務所(住まい?)があり、南側が正面の参道らしく鳥居と階段がある。鳥居の脇には大きな一本杉がそびえている。
奥には更に上に登る急な石段があり、拝殿や本殿、併社などが並び、絵馬も懸けられている。
併社の一つの稲荷神社のおキツネ様が、喜多見不動堂のと似て、ここも怖い顔だ。
上って来た階段は急で恐ろしいので、脇の傾斜道を下って南側階段から神社を辞す。
神社前の道路には、鳥居脇の杉よりも更に大きな松の巨木が、斜めに傾いで生えていた。
神社の前には入間川が流れているが、覗いて見たが水はほんの少ししかないようだ。
「明照院」の石段の前を通り過ぎて左折すると、階段のない入口があり駐車場に続いていた。
そこから侵入して、境内を一通り拝見して、10分足らずで庫裏の横から道路へ出たが、外から見ると入った駐車場の入口はすでに閉ざされていた。
戻りの七曲り坂の上で、先日は気づかなかった「百万遍供養塔」を見る。
説明書きによると、天明元年(1781)に立てられ、昭和43年、中央電通学園の道路拡張工事の際に、土中から掘り出された物だと言う。
「是より泉むら 子安地蔵尊二十五丁 右世田谷目黒道 左り江戸四ツ谷道」
来た道を戻り、新左エ門坂を上り、自転車に乗って若葉町3丁目の第1緑地へ。
本村坂を半分下った所から、キンランがどうなったかを見に行く。
花の咲き終わったキンランは、ちょっとだけ頑丈になって立っていたが、中の1本が折れて倒れていたので、枯れ木を添えて立たせておいた。
帰り道は野の花や雑草を眺めながら、祖師谷公園に寄ってヤマボウシの花を見て帰る。
エゴノキの花が散って、地面が白く染まっていた。