帝産閣
これもやはり、忘れ果てていた遠い記憶。
子供の頃の隣町、同じ狩野川沿いの、橋一つ下流の学区も町も違う地区だったが、子供の足でもちょっと遠出気分で遊びに行ける距離だった。
現在はそれぞれの町が同時に「市」に昇格して名ばかり大袈裟になっている。
狩野川に沿って隣町の橋まで歩いて行くと、大仁橋のたもとにはこんもり丸い水晶山があった。小さな岩山なのに、うっそうと木々に覆われていて、山が小さいせいでせわしなくグルグル回りながら頂上に達すると、廃虚じみていながら妙にハイカラな展望台があった。
展望台から眺める狩野川の向こう岸には、帝産閣と呼ばれる建物の後ろの山の斜面には、金山の廃坑だという階段状の斜面が見えていた。
さすがに金山の廃坑は覗きに行く元気はなかったが、帝産閣の前庭にはたまに行った記憶がある。車回しと言うのだろうか、玄関前の丸いコンクリートの池の周囲を、砂利道が取り巻いていて、池の真ん中はシュロなどを植えた小山になっていた。
当時、修善寺や大仁、伊豆長岡も駅前には丸い池のロータリーがあったものだった。
帝産閣の玄関の中がどうなっていたかは記憶にないので、多分中までは覗かなかったのだろう。
昨日、偶然、ネットで廃墟になった帝産閣の写真を見つけて、私が知っているよりは数十年後なので、昔より建物や池は立派なのだが、懐かしさにショックを受けた。
写真には建物内部のローマ風呂などもあったが、何だか見たことがあるような気さえして、不思議な感じだった。
帝産閣は戦前から鉱山従業員のヘルスセンターとして営業されていたが、1993年に廃業し、写真が撮られた1999年秋に取り壊されたという。
帝産閣から修善寺橋までは、瓜生野の集落を通るのが好きな道だった。